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日記だったり、時事ネタであったり、感想だったり…。基本的に愚痴、イチャモン、難癖つける方向で…。

ゆとり教育

なんか世論調査でゆとり教育を評価しないという返答(65%)が評価するという答え(24%)に対して大幅に上回ったと言うことなんですが、そもそもゆとり教育が良くなかったのか?っていうとそうではないように思う。
ゆとり教育が悪いのではなくゆとり教育の定義がキチンとしていなかったダケだ。
要するにゆとり教育って制度をちゃんと作る能力が無い人間が良くないのであって、制度自体には問題はない。

「学ぶことに対する興味を育てる。手にした知識を元に考える能力を育てる。」という事を重視して「ただ知識を詰め込む。」ダケのゆとりの欠片もない教育を止めましょう!っていうのがゆとり教育だと思っていた。
しかしそうではなくただの今までの教育を縮小したダケのモノだったから失敗したのではないか?
アレはただいたずらに詰め込む知識を減らしただけだ。
ホントはその逆でないといけない。
むしろ分からないことがないように細かい事まで徹底的に教えてあげることがゆとり教育なのではないだろうか?

また、ゆとり教育を評価しない理由について「自ら考える力よりも、基礎的な学力を育てるべきだから」という答えが18%もあった様だけど…この返答をした人間の頭の程度を疑問に思う。
「自ら考える力」と「基本的な学力」は別のモノだと思っている人間が居ること自体に驚愕してしまった。
「自ら考える力」は「基本的な学力」の根幹を支えるモノであるといっても過言じゃないと僕は思っていた。
「自ら考える力」と「基本的な学力」は切っても切れない関係というよりは全く同じモノを別の呼び方しただけというとらえ方が正しいとさえ思う。
考えない人間には知識はあっても学力があった試しはないと思うんだけど…ソレさえ分からない人が未だに沢山居るのかと思うと情けない。
コレまでの詰め込み型の教育がそんな馬鹿な返答しちゃう人間を育ててしまったってことだ。
まさに悪い見本だ。

僕は小さい頃勉強が嫌いだった。
何故か?と訊かれれば…「何故?何で?どうして?」という僕の質問に一切教師は答えることが無く、ただ「こんなのは言ったって分からないんだから…。」とか「公式を覚えろ!」とか「暗記しろ!」の一言で誤魔化され続けたからだ。
人間というモノは理解できないモノを嫌うまたは恐れる性質がある。
言葉の通じない外国の方に出会った時感じるソレと一緒だ。
分からないまま進む授業、そんなにイヤなモノはない。
歴史であれば何故どうしてその時その事件が起きたのかちゃんと教えるべきだと思うし、数学であれば何故その公式で解けるのかキチンと説明するべきなのだ。
知識というのには関連性があるのにソレを断ち切ってしまってはせっかく得た知識の応用が出来ずその後の知識が続かない。
子供達の「分からない!」に分かるまで付き合うゆとりをもつ教育こそがゆとり教育だと思う。
何故?どうして?に答えずに何がゆとり教育だろうか?
結局詰め込む数が減っただけで何処にもゆとりは無いじゃないか?
あんなモノをゆとり教育とのたまった馬鹿にはとっとと消えて貰いたい。

とはいえ…今現在教師を生業としている人たちの殆どがゆとりのない教育を受け続けてきたワケで、そんな人たちに本来あるべきゆとり教育が体現できるかと言えばソレは甚だ疑問だ。
大学で各分野について研究しているような人達こそ適任であると思うけれど、「自分の研究が最優先でそんなことに時間を割けない…。」と言われてしまいそうだしね。
本来は決して「そんなこと」等とは言えない程重要な事筈なんだけどね…。

ま、結局のところゆとり教育とは何か?と訊かれたら「時間という制約に縛られずに学ぶ事に専念できる環境」と言うことになるんだろう。
しかしソレを許さないシステムが既にできあがっている以上ある程度の妥協は必要だろう。
それでも何とかしようというのがゆとり教育だった筈なんだけどね。
元々、英語で言うところの学校という言葉SCHOOLの語源は余暇活動だったりするわけで、学校って言うのは楽しくないとおかしいのだ。
極論を言ってしまえば学ぶという行為は娯楽と言ってもおかしくない。
だって人間は知識を得ることソレを使うことを快楽に感じられる生き物なんだから。
ところが大人の傲慢さや利権だの汚い部分が絡んで楽しいはずの勉強がつまらないものへ貶められてしまうワケだ。
ホント救いようがない。
ソレで居て教師という職業は聖職者みたいに言われている。
こんなんじゃ世の中良くなるわけがない。
  1. 2005/03/28(月) 00:46:38|
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  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

コメント

そうなんだよね

俺の教育に対する愚痴の部分に関してなんだが、確かに詰め込み型の教育にも利点はあると思うんだけど人それぞれ学習の仕方に向き不向きはあるわけでさ…俺の場合はただ知識を詰め込まれてもキチンとした意味が分からないと関連づけて使えなかったダケだ。

話を本筋に戻すケド今の日本は資源と呼べる資源は無いし、自給自足もままならない貧弱な国と化してしまってるじゃない?
そうなると話題になってる埋蔵資源の埋まってる場所が日本かそうでないか?っていうゴタゴタが「日本の領域である!だから資源もウチのモノ!」って言う解決を迎えない限り俺たちの時代の労働者を育てる教育じゃままならないと思うんだよね。
なんていうか…労働者ではなくある種資源と呼べる程の人材、市場を創造する力を持った人間を育成しなきゃいけない。
そう言う意味での「あるべきゆとり教育」ってのを述べてみたんだ。
だからコレが絶対ってワケじゃ無いんだな。
あくまで「今あるべき」という程度なんだけど実はソレが重要だし「今あるべき」への変化が今迄無かった事の方がおかしいんじゃねぇか?って事だな。
  1. 2005/03/29(火) 02:38:27 |
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  3. 高位置 #CP559kOk
  4. [ 編集]

俺らの生きている時代の教育は労働者を育成する為のプログラムからできているんだよ。
今の時代は化石燃料に支えられた大量生産・大量販売のシステムの産業社会だな。農耕がメインだった時代の教育は支配者養成の教育。現在の義務教育のシステムは労働者を養成するという産業社会の要請によるものだ。学校では「読み書き算盤」、カリキュラムを教えると同時に、それよりはるかに大事な裏のカリキュラムを教えている。時間励行と従順と機械的な反復作業である。なぜなら、それこそが産業社会で何よりも大事なことであるから。
時代の要請から考えれば詰め込む教育は間違いではないでしょう。知識を詰め込み手段を画一的に教え込む。中には落ちこぼれる人もいるでしょう。韓国あたりの学力水準が高いのもこの辺の理由かと思うぞ。
ゆとり教育という概念は、もう既に労働者の育成という時代ではないという時代のパラダイム変化でしょう。
もう「適応させる教育」の時代ではないと言うことでしょう。失敗はあなたの言う通り、ゆとり教育の単なる縮小でしかなかったことだろうと大いに思う。
しかし、詰め込み教育に反対の意見もない。別に授業は嫌いだったけど、俺は勉強嫌いではなかったし・・・。まぁ、教師は選べないけどね。楽しい授業でなければ勉強できないなんていう軟弱な気持ちで社会に出て勤まるのか?と思ってみた。もちろん、小学生程度にこの理論をぶつける気はないけどね。

俺は学校教育よりも、家庭教育、社会教育が本人の意欲を育てる為にはもっと力を入れるべきと思うぞ。集団に対応する以上画一的な授業にはならざるを得ないだろうとも思うし、そこまで能力の高い教師ばかりではないだろうとも思う。個々に対応するのは家庭や社会の役目だろうなぁ。もっともさまざまな環境の人間がいるので一概には言えないがね。

以上コメントでした。
  1. 2005/03/29(火) 00:17:16 |
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